「 余白 」のある美しさ

いつからだろう…

 

ある時から

余白のあるデザインが好きになりました

 

 

例えば、

 

大きなポスターにシンプルに、

でも、考え抜かれた文字が

考え抜かれた配置で置かれているとか

 

白と木目だけの部屋なんだけど

ある一角に

ふっと心和らぐモノが置いてあったりとか

 

 

余白には何もないわけじゃなくて

そこには余韻があったり

余白があるからこそ

広がっていくものを感じるんです

   

  

実はこの4月から

正直、キャパオーバーな状態で

いろんなものを詰め込みながら過ごしてきました。

 

   

7月まで青森にいられるなら

とにかくできることを全てやりたい!

きっとそれが

これからの青森に何か役に立つはずだから!

ただその思いだけで…

 

 

でも…

 

 

 キャパオーバーな状況でも

以前に比べれば何倍も

心を落ち着き直せるきっかけを

掴めるようにはなってきたものの

 

やっぱり人には

その時その時で持っている

器の大きさというのがあるみたいで

 

  

いっぱいになってしまうと

動きも思考もすごく鈍くなっちゃって

 

だんだんと

スケジュールの余裕がなくなるにつれて

子どもへのアンテナが鈍くなって

 

気がついたら

思考が自分にばかり向いてたり

 

そもそも考えようと思っても

自分でなにかを守ろうとしてるのか

 

考えようとするのを

無意識にストップされているように

感じることもしばしばあった最近。

 

 

そんなタイミングでの

慣れないチラシづくりとの格闘の中で…

 

————

デザインは余白が大切

  

人間の生き方も同じように

余白をもつことが大切なのかもしれない

————

 

ふと、そんな風に思ったのでした。

 

 

余白があると

なにか予想外のことがあっても

ふわりと少し揺らぐことができるし

 

   

ちょっと違うかも?と思えば

少しずつ動かしながら

しっくりくる場所をつくれる

 

 

でも、紙いっぱいに敷き詰めちゃうと

ちょっと動かしたとたん

なにかがあふれて

こぼれてしまう。。。

   

   

   

じゃあ、とりあえず描くものを

削ればいいかっていうと

そんな単純なものじゃなくて

 

残したものが

本当に自分の大切にしているものじゃないと

自分の中に疑問が生まれて

余白が増えるごとに

自分の疑問も大きくなっちゃう。。。

   

  

余白をつくっていく作業って

自分の大切なものをわかってないと

もしかしてうまくできないのかもしれない

   

そう考えると

私のこの1年は

余白をつくっても

揺らぎを与えても

変わらずそこにあり続けるものを

試行錯誤しながら

選んできた1年だったのかもしれない。。。

   

   

   

最後に残る「それ」は

以前誰かにアドバイスされたこと

なのかもしれないけど

最後に残す決断をするには

やっぱりたくさん思考錯誤しながら

経験しながら

「これだ」って

自分自身で納得できないと

いずれバランスを崩してしまう

   

   

  

「自分で気づいた」

そんな感覚を自分の中で

生みだせるのかが大切なのかもしれない。

   

   

   

そしてそれは

「生みだす」って力ずくでやるものではなくて

   

自然と生みだされるような状態を

自分の中につくっていけるか、なんだね。。。

 

ずっと理想の女性=しなやかな女性

って言っててきたけど

もしかして「しなやかな女性」って

余白のある生き方をしている女性なのかもなぁ

今の私に余白をつくるとしたら

私は今、なにを選び、なにを手放すんだろう

   

TCS認定コーチ

MCS認定マザーズティーチャー

山下イクミ

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